教授レポート

Instructor Reports

世界には、価値観が180度変わる
歴史的瞬間がある。

東西冷戦のシンボルだったベルリンの壁が崩壊したのは1989年。ドイツのマインツ大学に留学していた私が、1週間のベルリン研修に参加したのは10月。東ドイツに入るチェックポイント・チャーリーの検問が異常に厳しかったのを覚えている。それから1か月、相次ぐ東ドイツでの大規模デモに耐えきれず東独のホーネッカー第一書記が辞任し、11月9日、ついに壁は開放された。

その年の大晦日に再びベルリンを訪れたが、夜空に盛大な花火が打ち上がり、歓喜に沸く群衆が壁によじ登り、ハンマーで打ち砕くあの歴史的光景が、まさに私たちの眼前で繰り広げられていた。

法律を学んでいると国家が永遠に存在し、法が不変のものと思いがちである。それがあっけなく崩壊する瞬間を私は目撃した。戦前・戦時中を知る世代の人たちは、国の正義や伝統的価値観までも一夜にしてひっくり返った事実を体験している。法律も平和もあくまで暫定的な存在であり、永久不滅なものなど何一つないのだ。

法も国家も、その基本は“人”。みなさんも一人ひとりが持っている価値観や経験を凌駕するような体験をしてほしい。国際総合政策学科ならば、あなたにふさわしい分野がきっと見つかるはずだ。

写真の解説:
29年前に崩壊したベルリンの壁の一部が、現在も残っている。
世界を学ぶことで、様々な「歴史的瞬間」に出会うだろう。

このTopicsに関する講義

  • 国際法
  • 国際関係私法
  • 国際政治史
  • 紛争研究 etc.

小野 健太郎 教授

1992年、日本大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学。グローバル化に伴って日本国内でも外国人がらみのトラブルが増えているが、日本側のルールに加え、彼ら外国人固有のバックグラウンドを尊重して問題の解決に当たる国際私法・民法の専門家として知られている。

教員紹介

既成概念や固定概念にとらわれず、
多角的な視野を身につけよう!

「メリクリ!」「アケオメ!」… いつの世にも、若者言葉に眉をひそめる大人たちがいる。カタカナ言葉が多すぎる、もっと日本語を大切に、という識者もいる。しかしそれは日本だけの嘆かわしい風潮なのだろうか。英語にもvet(veterinarian) やfridge(refrigerator)があり、trunk(木の幹⇒車のトランク)やboot(長靴⇒新兵)はその意味を大きく変化させてきた。言葉は生きて変化し続けている。

英語を勉強していても意外に知らない人が多いのだが、ブリテン島は11世紀にフランス国王の家臣・ノルマンディ公ウイリアムに征服されてから、上流階級はフランス語、一般民衆は英語という併用状態が300年間も続いた。おかげで英語にも多くのフランス語が入り込むことになった。そのほかにもオランダ語やスペイン語など、外国起源の言葉が増えて新たなボキャブラリーを形成し、現在に至っている。

私は大学の英文学科を卒業後、念願の高校英語教員になったが、現場で教える中でもっと勉強したいという気持ちが募り、4年で退職。米国コロンビア大学大学院に修士留学し、応用言語学の勉強に打ち込んだ。その時の多文化、多言語、多民族との出会いが、私の目を大きく開かせてくれ、今の自分の土台になっている。

言葉にはそれぞれの時代の人々の価値観が投影され、その変化には国同士の関係性も影響を及ぼす。国際関係学部で学ぶ歴史、文化、言語を手掛かりに、物事を多角的に捉える習慣を身につけてほしい。

写真の解説:
米国コロンビア大学大学院で学んでいた頃。「言語」を通して様々な人や文化に触れ、自身の価値観が大きく変化した。

このTopicsに関する講義

  • 英語学
  • 世界の言語
  • 現代言語学
  • 英米言語文化研究 etc.

生内 裕子 教授

津田塾大学学芸学部英文学科に在学中、アメリカに2か月間語学留学。卒業後、高等学校の英語教諭として4年間勤務の後、米国コロンビア大学に修士留学し、言語学の教育への応用や英語の新しい教育法を学ぶ。帰国後復職できる保証はなかったが、人生でいちばんやりたいことに打ち込めた2年間だったと当時を振り返る。

教員紹介

貧困に苦しむ途上国の人々のため、
国際社会は何ができるか。

アフリカ辺境の村で、貧しい母親がお腹を空かせた赤ん坊に、国際支援団体からもらった白い液体を飲ませた。ミルクだと思いこんでいたそのボトルには「農薬」と書かれていた。赤ん坊は死んだ。

字が読めない母親を責められない。長引く内戦で学校などあるはずもない貧しい村。責任を負うべきは、国内の混乱を解決できない政府と、手をこまねいて傍観するだけの周辺国や様々な国際援助機関だ。そこに働く人たちはみんな飛びきり有能で善意に満ちあふれているのだけれど、国際政治の混沌のなかで思うような活動ができず、結果として新たな差別や貧困を生み出す側に加担してしまうようなことさえ起こっている。

私は大学で国際関係学を専攻し、ラテンアメリカ諸国での国連の開発事業について調査を重ねてきた。卒論はペルーの学校給食プログラムについての調査。山間の先住民が多く住む地域で、民族格差問題などについて国際機関は何ができるのか、国連機関の力を借りて取り組んできた。

日本で外国のモノを買ったり消費したりしているあなたも、知らないうちに途上国の貧しい人たちを苦しめたり、搾取の片棒を担がされているかもしれない。そうならないためにも、国際関係について学んでみることをお勧めしたい。

写真の解説:
ラテンアメリカ・グアテマラの先住民女性たち。民族格差や貧困問題を抱え、農村部の人々は特に貧しく生活水準も低いといわれる。

このTopicsに関する講義

  • 国際関係論
  • 国際連合論
  • 国際関係史
  • ボランティア援助技術 etc.

眞嶋 麻子 助教

スペイン語を学び、国連開発計画UNDPの活動の現場を調査するためにメキシコに留学。隣国のグアテマラで70〜80年代に起きた先住民の虐殺など、民族間の格差が固定化されている世界の現状や、それに対する国連の開発支援政策の取組などについて研究を重ねている。

教員紹介

異文化体験は、案外きみの
いちばん身近なところにある。

インドネシアには、自分のことを“オラン・ジャパン”と呼ぶ人たちがいる。直訳すれば日本人であるが、現地の文脈においては日系インドネシア人を意味する。第2次世界大戦時にインドネシアで終戦を迎え、そのまま現地に残って、オランダからの独立戦争に命がけで参戦した経歴を持つ残留日本人たちが、そのルーツだ。

インドネシアの人口は2億3千万人だが、インドネシア人という民族は存在しない。この国はジャワ人やスマトラ人、バリ人、アンボン人など、約300の民族から成る多民族国家。自分の出自を確認し合う意味で「私は日系」「私はジャワ系」と名乗り合う。彼らの言う“オラン・ジャパン”には、自らの出自への誇りが込められている。ただし、子どもに日本式の名前をつけるときはHIROKIをHIROCKYにするなど、嫌日感情に配慮するデリケートな一面も覗かせる。

グローバル化の進展が人々の移動を加速し、文化の混交・変容を促す。仕事や勉強でやってきた日系3世が日本に永住し、結婚して4世を生む。彼らはもはや日本生まれの日本人だ。

かく言う私は、文化人類学の研究対象にインドネシアを選び、留学中に出会ったインドネシア人女性と結婚した。言語、宗教、価値観、食べ物など文化が異なる相手と日常生活を共にしている。文字通り毎日が異文化体験であり、私の生き方そのものになっている。

写真の解説:
国は違えど、人々の「ルーツ」をたどり歴史をひもとくと、日本の血筋や文化と深い関わりがあることに気付く。

このTopicsに関する講義

  • 文化人類学
  • 異文化コミュニケーション論
  • イスラム文化
  • 親族と婚姻論 etc.

伊藤 雅俊 助教

日本大学国際関係学部で文化人類学を学び、研究対象として非欧米系の文化、中でもインドネシアに興味を持つ。学生時代は度々長期にわたり現地調査に出向き、インドネシア国立メダン大学に学ぶ。現在、日系インドネシア人だけでなく、非イスラーム地域に暮らすムスリムについても調査研究を実施している。日本大学にて博士(国際関係)取得。

教員紹介